高柳昌行。いうまでもなく日本のジャズギタリストで、アヴァンギャルドなジャズマンの筆頭の方だと思っています。
外国のジャズマンのことは書きやすいが、自分と同じ日本人のジャズマンのことは軽々に書くことはできません。何故でしょう?
演奏を聴いたり、著作を読んでみれば、こう感じてしまうことはご理解いただけると思います。
そんな訳で、高柳昌行の音楽について語ることなど私にはとてもできません。
今日は、最近読んだ「汎音楽論」の中に面白い文を見つけましたのでちょっとだけ聞いてください。
「コルトレーンは、早死にしたのは不幸なことだけど、彼自身の原質を引き裂くような実証がない限り、生きていたからどうだったということはいえない。結果的にビ・バップを引きずってきた中で彼は終わってしまった。
それを叩き壊したってのがアイラーなんだよ。でも彼も若死にしてしまった。よく、クリスチャンが生きていたら、パーカーが生きていたら、って言うじゃない。そういう意味では、俺はアイラーこそ生きててほしかったね。エリック・ドルフィーも同様だ。何故かと言えば、この二人の先はあの時点ではまだ見えていないから」
以前、私はエリック・ドルフィーの死を未だ受け入れることができていない(ジャズ愛聴盤エリック・ドルフィー)とブログに書きました。畏敬する存在の高柳昌行が上のようなことを言っていたとは(ちょっと嬉しい)
ただ、私は「アルバート・アイラーはやり尽くした」と書いちゃいましたね(涙)
まさに、良いニュースと悪いニュースでした。