ジャズとテニスの雑記帳

ジャズ・テニスそしてオーディオやミステリーについての日常を綴ります

クラシック音楽についての妄想

クラシック音楽館における、大友良英さんの”自由な音楽”に感動しました。

自由と言っても、適当!とか行き当たりばったり!ということではありません。

”上質な自由”は高難度です。

演奏者は”自由な演奏”をするために、とんでもない練習をしていると思います。

 

前から思っていることを少し・・・

クラシックのディープなファンではない私が言うのは、もの凄く僭越なのですが、妄想だと思って聞いてください。

 

クラシックの歴史的名曲のアレンジって、もう少しあっても(存在しても)いいと思いませんか?

ラフマニノフに「パガニーニの主題による・・・」がありますね。

バッハの「ゴールドベルク変奏曲」に、弦楽三重奏版やオーケストラ版などもありますね。

もっとあってもいいと思いませんか?

 

天下の大作曲家に対して失礼なことを申し上げますが・・・

例えば、パガニーニのバイオリン協奏曲のオーケストレーションの編曲はあるのでしょうか。

また、チャイコフスキーも編曲の余地があると思いませんか。ゴメンナサイ。

ベートーベン(この方に対して言うのは不敬罪?)のピアノ協奏曲は天国的ですが、交響曲に感じるところはありませんか?何番とはいいませんが。

 

素人が、まったく失敬!な事を言ってますが、クラシックが生き残るにはこういう作業も必要なのではと思います。

 

現代音楽の作曲家の方たちに、こういう仕事をしてもらえないでしょうか。

オリジナルも結構ですが、あの素晴らしく精緻な知識と技術の一部を名曲とのコラボに使ってもバチは当たらないと思います。

 

もし再構築しても、原曲は消えないですし、原曲と、いえ大作曲家と、ある意味勝負できるということではないでしょうか。

 

時々思います。大作曲家が天国で、自分の作品を書き直しているということはないのでしょうか。