ジャズとテニスの雑記帳

ジャズ・テニスそしてオーディオやミステリーについての日常を綴ります

オーディオ備忘録 34 シーメンス・システムのブラッシュアップ その2

前回、「生の音場と同傾向の再生音」が出ていると書きました。

 

オーディオ・マニアとは、とても言えない私の言うことですから、大したことではありませんが、少し説明させてださい。

 

例として、モーツアルトの「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲」を聴いてみます。

ヴァイオリン・五嶋みどり ヴィオラ今井信子

エッシェンバッハ指揮 北ドイツ放送交響楽団

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クラシック音楽の先輩である別府のSさんから頂いたCDです。

名演かつ優秀録音盤です。

 

このCDをシーメンスで再生すると、2階席前列で聴いている印象です。

2階席といっても、下の方から聴こえるということではありません。

コンサートホールの2階でも、演奏は下から聴こえるというより、中空に響き渡ります。

 

遠目にゆったりとオーケストラが鳴り、ソロのヴァイオリンが中央やや左に、ヴィオラが中央やや右に位置しています。

オーケストラの演奏位置も、各楽器群ごとの前後左右が出ています。

 

良く録れたソースの場合、このように聴こえるのはたぶん普通のことです。

拙宅のような、ポン置きに近い装置でも、このように聴こえます。

これは、録音技術の成果でもあり、リスナーが持っている経験や心理も関係していると、私は考えます。

 

「生の音場と同傾向の再生音」の普通でない特徴は、「音場の勢いと広がり」だと思います。

実際のコンサートホールでは物理的な壁がありますが、そのような壁があっても、私たちがツッティで聴いているのは、音楽の無限の広がりなのではないでしょうか。

これが、再生音で感じられるかどうかが肝心だと、私は思います。

 

コンサートでは、時には、一辺が1mくらいの大きさのトライアングルが飛び出して来たり、コントラバスが「少年ケニア」のダーナのように観客席に迫ってきたりします。

そんな型破りな生がある一方で、私が再生音に求めるのは、奥行きや定位の他に、「無限の広がり感」ということになります。

ただし、クラシック音楽に限っての話ですが。

 

もしかしたら、当たり前のこと? それとも妄想?

いずれにしろ、拙宅のシステムも、もっともっと広がって、フレームがなくなるといいなと思うオーディオライフの日々です。