スポーツは観るのもするのも好きです。
でも、オリンピックは平和の祭典などとは夢にも思ってはいません。
オリンピックは選手の切磋琢磨のひとつの大きな場として観させていただいています。
心から選手の皆さんに、感謝しています。
ですから、TV中継の無粋な映像やインタビュー、何故、こんなにたくさんいるのかわからないコメンテーターのコメント、には辟易しています。
もっと、放送を、粋に格好良くできないものですかねえ。
スポーツとマスコミは全く異質なものですから、マスコミが理解できないのは仕方ないのでしょうか。
テレビ番組はニュースとスポーツとドキュメントを観ることが多いワタクシです。
一方、あまり観ないのが、ドラマ・バラエティ・歌番組
ワイドショウはバラエティですよね。ニュースではないでしょう。
極端な言い方かもしれませんが、公共の電波を私物化しているのがテレビ局のような気がします。
「私物化」という言い方はちょっと違うかも。「無駄遣い」の方が近いかな。
局はメーカーから広告料をもらい、メーカーは広告料を宣伝費として商品価格に上乗せし、視聴者が商品を買うという構造
となると、
大元のスポンサーは視聴者ということになります。
で、視聴者は一般人、テレビ関係者は非一般人ですか。この、一般人、非一般人というのが相変わらず良く分かりません。
まさか、非一般人は勝ち組・搾取組、一般人は負け組・搾取され組ですか?
お客様(一般人)は神様です、と言ったのは三波春夫さん、今、そういう態度なのは羽鳥慎一さん。
大体、テレビ局幹部や芸能業界の収入が公開されたら、「そんなに?」と一般人(いやな言い方ですが)怒りますよ。想像ですけど。
えっ!! 「凄いなあ、うらやましいなあ」と自虐的に思うだけ?
ワタシは、スポーツ選手や音楽家や工芸家が高収入を得ることは、「良かったね」と思います。
それこそ、大変な才能を発揮して、一般人(どうもこの言い方、いやだなあ)を愉しませてくれているわけですから。
俳優やモデル、ポップス、お笑い、MCの人たちには、「高収入で良かったね」とは思いません。価値観、好き嫌いが関与しています。
たとえば、オリンピック放送に関しては、報道というよりマスコミがスポーツを食い物にしているみたいに見えます。私には。
カメラとインタヴューが凶器のように感じる時があります。
取材者と取材対象者が持ちつ持たれつにはなっていないと、私は思います。
テレビ局はこのまま生き延びるのかあなあ?
いつまでも、こんな状態が続くとは思えません。
テレビ近未来
NHKはニュースに特化して報道を深める。FMの音楽放送が無くなっても・・仕方ないです。
民放大手は今まで通りの娯楽担当、ただし、半分の2局でいいのでは。
物価も少し安くなるかもしれないし(広告料が4局分から2局分になる)、他の分野に人材が回っていくのは良いことだと思います。
そして、環境へのインパクトも下がると思います。