ジャズとテニスの雑記帳

ジャズ・テニスそしてオーディオやミステリーについての日常を綴ります

ジャズ談議に参戦?

「音楽&オーディオ」の小部屋 という超人気ブログがあります。

9月19日付で「日本人にジャズは理解できているんだろうか」という表題の記事がありました。

アメリカのジャズテナー奏者ブランフォード・マルサリスの「日本人とジャズの関係に関する疑問」、それに対する「村上春樹氏の提言」「ブログ主のS氏の講評」が述べられているものです。

まずは、ご一読あれ。

 

ジャズファンの一人として、議論に参加せんと勇んではみたものの、「修羅場」が目の前に広がったため、さっさと身を引くことといたしました(笑)

 

しかし、上記の記事になんとか絡みたいので、素直に思うところを綴らせていただきたいと思います。

 

B・マルサリスは何故こんなことを言うのだろう。今頃になって。

おっと!今ではないですね、この発言は。たぶん1980年代か90年代・・・黒人の歴史がまだその芸術活動に濃く反映していた最後の頃のものだと思います。

今は商業主義が高度に発達して、黒人の運動としての芸術活動(音楽活動)は一部の存在になり、芸術市場はグローバルに拡大されているのではないでしょうか。

 

ジャズはすでに、黒人の専売特許ではないということです。

「ジャズは存在が自由」なものになったと思います。

 

マルサリスの言う、歴史問題、社会問題としての人種問題は、過去にも現在にも、根深く存在していると思います。われわれ日本人にとっても他人事ではありません。

今年、アメリカで150㎏の黒人系の男に、東洋系と思われる小柄な婦人がぶっ飛ばされていました。ことは単純でありません。

 

海外で活躍できる人は本当にえらい! 話が飛躍しました、すみません。

 

それにしても、B・マルサリスのこの発言には「オツム大丈夫かいな?(考え方大丈夫?という意味で、頭がいいとかその反対とかを言っているわけではありません)」と心配してしまいます。

私は彼の音楽に惹かれるものまったくありませんでした。この発言を聞けばそんな自分に納得です。

マイルス・デイヴィスの発言録とか読んでないのかな?

 

弟君のウィントン・マルサリスも問題発言をする人らしいのですが、私は彼の音楽は大好きです。

自己のコンボでもジャズ・アット・リンカーン・センターでも音楽は圧倒的です。真っ黒です(一部の黒人だけが表現できるビートと間)。リスナーとして、自分とかけ離れた音楽には憧れます。

一方、クラシック奏者としてはまったく黒くありません。透明です。こちらも凄いです。

 

兄弟でなにが違うのか。伝統と革新の感覚が違うのか・・な?

 

勇んだ割には、自分の好みの範疇からしかものを言えない、想像力に乏しい私でした。