ジャズとテニスの雑記帳

ジャズ・テニスそしてオーディオやミステリーについての日常を綴ります

「村上ワールド」談議に参戦

「音楽&オーディオ」の小部屋のブログ主さんが、12月15日の記事と12月17 

日の記事で作家「村上春樹に触れていらっしゃいます。

なるべく切り取りにならないように再掲します。

 

15日の記事

作家の「村上春樹」さんについては、人によってかなり好き嫌いがハッキリ分かれているような気がする。

あの独特の「村上ワールド」が鼻につくか、否かが「分かれ目」かな・・。

かくいう自分はといえば、まともに長編小説に取り組んだことはないし、取り立ててファンということではないが、彼の音楽についてのコメントにはハッとさせられることが多い。

たとえば一例を挙げると、以前のブログにも書いたことがある「バイロイト音楽祭」についての紀行文。(抜粋)

 僕は思うのだが、優れた芸術とは多くの奥深い疑問を我々に突き付けるテキストのことだ。そしてたいていの場合、そこには解答は用意されていない。解答は我々一人ひとりが自分の力で見つけていくしかない。

 おまけにそのテキストは~もしそれが優れたテキストであればだが~休みなく動き続け、形を変え続ける。そこには無限の可能性がある。時には間違った解答も出てくることもあるかもしれない。そこにはそんな危険性もある、しかし可能性とは危険性の同義語でもあるのだ。

 

17日の記事

つい先日投稿した「村上ワールドに思う」について、南スコットランド在住の「ウマさん」からメールを頂いたのでご紹介しよう。

「確かに、かなり好き嫌いが分かれるのが、村上春樹さんの文章ですね。
彼の、持って回ったような翻訳調のレトリックに辟易することがあり、小説はほとんど読みません。

ところが、そんなレトリックが、音楽に関しては、「なるほど、そんな風に表現出来るんだ」と膝を叩くことがかなりあり、凄い文章力・表現力を感じます。


村上氏が無名時代に経営していたジャズ喫茶にちょくちょく行きましたが、初めて行ったとき、コーヒーを派手にこぼしてしまいました。飛んで来た彼は、テーブルを拭く前に僕の衣服を拭き、すぐに代わりのコーヒーを持って来てくれました。とても誠実さを感じました。

ニーチェは「音楽のない人生は間違いである」と言い、シュバイツァー博士は「人生の悲惨から逃れる方法が二つある。音楽とネコだ」とおっしゃったそうです。

 

そうでしたか、ブログ主さんもウマさんも、村上春樹氏の小説をほとんど読んでいないんですね。

ノーベル賞候補にも挙がる作家を素通りできるなんて、凄いです(?)

私など、何冊も読んでしまって(笑)・・その結果、ファンにはなっていませんが。

 

ウマさんのコメントは、「翻訳調のレトリックに辟易とする」なんて、はっきり言い過ぎじゃないか、と心配になるほどです。

 

村上春樹氏は、エッセイなどでも、上記のバイロイト音楽祭紀行文のように、深い見識を感じさせる表現を駆使されます。

 

ただ、私は、こんなにもったいぶって、上から目線で書くことなのかなあ、と感じます。

こういう芸術論は氏だけが行き着いたオリジナリティの高い発想ではないと思いますし、我々のような一般人でも、深く考える人なら認識していることではないでしょうか。

 

村上春樹氏は日本一ファンの多い作家だと思います。大したものです。

「村上ワールド」は氏のファンに向けたメッセージなのだと思います。

 

私には、「キムタク」や「ナカイクン(今はもう言わない?)」達タレントの在り方と似ているように感じます。

あるいは、氏とファンは教祖と信者のような関係か?

それなら、エッセイに於ける、”教えてあげよう”的な表現も理解できます。

 

氏は「ファンとの信用取引」という表現もされています。

これは「みみずくは黄昏に飛びたつ」という、川上未映子との対談集に出てきます。

村上春樹流小説作法が伺えます。

 

ワタシの悪いクセで、年齢に関心があります・・・

ウマさんと村上春樹氏は同い年です。

並べるのは恐縮ですが、私は1歳上です。(以前、拙ブログで同い年と書きましたが、間違いでした)

「音楽&オーディオの小部屋」ブログ主さんはもう少しご年長です。

団塊の世代です。