大谷翔平選手 第26号ホームラン!
最終回の四球も高価値でしたね
おっと! 昨日は27号・28号! かつ10奪三振!
さて、
愛読ブログ「音楽&オーディオの小部屋」6月18日の記事に、「音楽と数学の交差」という本と、その著者の「音楽は数学の一分野」という表現が紹介されていました。
「音楽は数学の一分野」という言い方に、違和感を覚えました。
これは、俗っぽく言えばマウントですね。優越感の発露です。
数学は多くの事柄の基礎をなすもので、これなくしては諸科学の発展はない、というふうに思いますし、リスペクトもしています。
でもね、
違和感・・・数学者・音楽学者という高い知能と見識をお持ちであろう方たちが、なぜ、こんな紋切調の言葉を使うのだろう・・・と思います。
紋切調は、視点の多面性を無視して単純化し、判断を歪曲化の方向へ導きます。
音楽を数学がマウントする必要性があるのでしょうか?
私のバイオリンの先生も「こうでしょう・・音楽は数学なんです」ということを仰ることはありました。
が、「音楽は数学の一分野」とは仰りませんでした。
音楽に数学の要素は欠かせないでしょうが、それが「音楽は数学の一分野」と言うことにはなりませんね。
テニスラケットや野球のバットの製作には、数学の理論も使われますが、「テニスラケット製作は数学の一分野」だとは言わないでしょう?
いや、数学者は言うかもしれませんね・・・そうだと・・・
「数学は宇宙の真理」だったかな?
「数学は万能」だったかな?
スゲーナー!と思う人もいるかもしれませんが、私は紋切調の香りを感じてしまいます。
まあ、私の数学者への偏見かも知れませんね。
高校の数学の教師、大学の数学教授、社会人になってから会った数学者、いずれの方も、社会性に疑問を感じる方でした。
私の狭小な体験からの偏見だと思います。
素晴らしい人間性をお持ちの方もたくさんいらっしゃる筈です。
音楽の多様性・多面性に着目すれば、「・・数学の一分野・・」などと言う言葉は出てこないと思うのですが。
例えば、西洋音楽の楽理と譜面は数学的な要素が特に高いとは思います。西洋音楽ですよ。
では、演奏という言う側面から見たときはどうでしょうか。
世界には譜面を持たない音楽は数多くあります。
また、ジャズのようにインプロビゼイションを主たる要素にする音楽もあります。
ジャズファンの一部は、ジャズを聴きながら、自分も参加している人がいます。
そいう人は、クラシックを聴いている時でも、アレンジを加えて聴いたりしていることがあります。
例えば、弦楽に管楽器を頭の中でブレンドするとか、低弦楽器(ダブルベースなど)でリズムを入れていくとかですね。
クラシックファンの方が、レコードを聴きながら指揮をしてしまう、のと似ているのかどうか・・・わかりません。
「それも数学だよ」と仰るなら、まあ、「どうぞご勝手に」です。
論点がだんだんずれてきたような気がしないこともない・・・
いずれにしろ、「音楽は数学の一分野」と言う人よりも、「文学は音楽に敵わない」と言う作家さんの方に、私は好感を持ちます。個人的には組しませんが。
数学って、自然科学というより自然そのものであって、他の応用科学や芸術・技術のようなヒネリがあまり感じられない、と私は思っています。
人為的な要素が希薄なのかな、ということです。
そういう意味では、マウントしたくなるのも頷けますね・・・とは思いませんよ!